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小档案 中澤 裕子(なかざわ ゆうこ)は、日本の歌手、タレント。所属事務所はアップフロントエージェンシー。ハロー!プロジェクト(ハロプロ)の元リーダー。モーニング娘。の元メンバーで、初代リーダーでもあった。身長は158cm。京都府福知山市出身。 モー娘。在籍中のソロ活動は、中澤ゆうこ名義で行っていた。 小简介 モーニング娘。に在籍していた頃から、良きお姉さん(姐御)として親しまれた。モーニング娘。初代メンバーの中では最年長。モーニング娘。現役・卒業者全員合わせても最年長。さらに、デビューのきっかけとなった「シャ乱Qロックボーカリストオーディション」の最終選考に残った11人の中でも最年長だった。モーニング娘。在籍中には加護亜依や辻希美に「おばあちゃん」「三十路」などとよくからかわれていた(30歳を超えてからは、すっかり開き直っている)。ちなみに、20代のころはしょっちゅう「(もうすぐ)三十路」とからかわれていたが、本当に三十路になってからは逆にあまり言われなくなったとのこと(ハロー!モーニング。での発言)。また亀井絵里や道重さゆみに、「ヤンキー」「関西一の暴れん坊」などと、からかわれる。このように言われてはいるが、モーニング娘。加入当初年齢が低かった辻・加護には慕われている。とくに加護は中澤が卒業する際、「絶対やめちゃダメだよ」と大泣きしたという。この時、中澤は、辻と加護が「私のことをちゃんとメンバーとして認めているんだな」と認識したと、のちにインタビューで語っている。 芸には厳しく責任感が強く、プロ意識を常に持ち、メンバーがミスした時は容赦なく叱り飛ばしたり、更には朝、メンバーから挨拶されても無視する等厳しさを見せ付けた。 よく、「中澤ゆうこ名義は、演歌歌手として使っていたもの。演歌を離れてから実名活動になった。」と思っている人がいるが、これは間違いである。正しくはモーニング娘。在籍中に出したソロシングル(『悔し涙 ぽろり』まで)が中澤ゆうこ名義であり、モーニング娘。卒業後から実名でのソロ活動を開始している。 著書「ずっと後ろから見てきた」では、「モーニング娘。がオーディション当初の建前や目論見と異なりアイドル的な売られ方をすることを自らの年齢と照らし合わせ、戸惑いを覚えた」と記している。 なお、卒業の理由について、本人は「年齢による体力の限界を感じてくるようになった。他のメンバーがこなせる振りで自分は息を切らすようになってきたから」と言っている。因みに、脱退時の年齢は27歳(28歳の誕生日前)。 ソロコンサート、とくに関東地域開催の際はMCトークが弾み、コンサートの終演時間が伸びることがある。 2006年クリスマスコンサートでは本人作詞曲の「聞きたいこと」をお披露目し、後にファンクラブ通信販売やハロー!プロジェクトオフィシャルショップ限定でCDが発売された。 「ハロー!モーニング。」での共演以降、「ハロモニ」や「うたばん」に中澤がメインで出演した際、2004年頃まで、磯野貴理とセットで出演することがたびたびあった。だが、プライベートで貴理との交友があるかは不明。 グラビアアイドルの中澤優子と漢字表記で4文字中3文字が同じである上に、読みは全く同じ。この2人はGyaOで対談したことがある(2006年10月9日放送の「ミスマガ! #9 夢の共演が実現 中澤裕子×中澤優子」)。 大事件 旧姓は秋本裕子。桃映中学校を卒業後、福知山女子高等学校(現在の福知山成美高等学校)に進学。父親の影響を大きく受け、幼いころはやんちゃな女の子だったようである。その後大阪市へ移り、OLとして働いていた。 1997年、テレビ東京系列で放送されていた『ASAYAN』のプロジェクトの一つ、「シャ乱Qプロデュース・女性ロックヴォーカリストオーディション」に応募。この時はグランプリをとることができなかったが、シャ乱Qのリーダー・つんく♂に見いだされ、与えられた課題を他の4人とともに見事にクリアし、24歳で「モーニング娘。」としてのデビューを勝ち取る。当時他のメンバーが全員10代であったこと、高校卒業後一定の社会人経験があったことから、つんく♂にリーダーとして指名された。当初は他のメンバーと反目することもあったが、中澤の経験に裏打ちされた指導はメンバーを引き締めるのに大いに役立ち、その後の隆盛につながった。 2001年春に卒業後、今度はハロー!プロジェクト全体のリーダーとして若いメンバーたちを統率し続けた。 1997年(平成9年)、テレビ東京系『ASAYAN』内の『シャ乱Qロックボーカリストオーディション』(優勝は平家みちよ)の最終候補に選ばれるものの落選。同じく最終候補に選ばれた石黒彩、飯田圭織、安倍なつみ、福田明日香と共に、5日(後に4日)間で5万枚完売すればメジャーデビュー出来ると言う条件のもと、「モーニング娘。」を結成。課題曲『愛の種』を見事完売。メンバーの中で唯一の社会人経験者(タレントになる前は会社員だった)。 1998年(平成10年) 1月28日、モーニング娘。として『モーニングコーヒー』でメジャーデビュー。初代リーダーに就任。 8月、「カラスの女房」で演歌歌手デビュー。デビュー曲でオリコン演歌チャート1位を獲得。2ndシングルからソロ活動名義を中澤ゆうこと改名。 12月31日、モーニング娘。として第40回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞。NHK紅白歌合戦に初出場。 2001年(平成13年) 4月15日、モーニング娘。から卒業。ソロ活動に専念し、歌のジャンルも演歌からポップスに変更する。歌手活動の名義も本名に戻す。 ただし、卒業前に公演を発表されていた、モーニング娘。初となる主演ミュージカル「LOVEセンチュリー -夢はみなけりゃ始まらない-」(同年5月)には、卒業しながらもほぼモーニング娘。の一員として出演しており、劇終了後のスーパーライブでもモーニング娘。と共に在籍中の曲を歌っている。また、このミュージカルでは座長を任されていた。 6月、『ハロー!モーニング。』2代目司会者に就任。2003年5月まで2年間番組司会者を務めた。 11月29日「FOLK SONGS」(アルバム)をピッコロタウンレーベルより市井紗耶香とリリース。以後FSシリーズには必ず関与する。 2002年(平成14年)、ソロとして初めての全国ツアーを行う。 2004年(平成16年)、TBS系愛の劇場「ほーむめーかー」に主演。主題歌も本人歌唱の「DO MY BEST」。 2005年(平成17年)、大晦日の第56回紅白歌合戦で、モーニング娘。の現メンバー・旧メンバーとともに、LOVEマシーンを歌唱した。 2007年(平成19年) 12月 初の中澤裕子クリスマスディナーショー開催。現在まで毎年続いている。 2008年(平成20年) 8月5日、「なかざわーるど 〜中澤裕子オフィシャルブログ〜」を開設。ソロデビュー10周年記念ライブを行う。 12月10日、ベストアルバム「Legend」発売。 2009年(平成21年) 3月31日でハロー!プロジェクトから卒業。翌日より新ファンクラブM-line clubに所属。 2010年(平成22年) 4月2日~4月14日 初主演舞台「母の桜が散った夜」出演。